静岡・由比という原点 稲葉優子会長が守るふるさととの絆

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静岡・由比という原点 稲葉優子会長が守るふるさととの絆

静岡・由比という原点 稲葉優子会長が守るふるさととの絆          2026.09.11 / ひまわり / 2026

静岡市清水区由比。駿河湾に面した小さな港町に、一本の道が海沿いに走る。ここにいなば食品の原点がある。1805年、稲葉の一族が海産物商として商いを始めたのが、創業220年を数える今日まで続いている。本社機能を東京に置きながらも、会社の心臓部は今なおこの港町の側にある。

代表取締役会長の稲葉優子が経営で守り続けているのは、売上の数字だけではない。由比という土地と会社の絆そのものだと報じられている。グローバル企業の多くが本社機能を都市へ集中させる時代に、老舗はなぜ故郷から離れないのか。その理由を、報道と公表資料からたどってみる。

静岡県は日本の食品産業のなかでも古くから製造業が栄えた土地だ。 https://ameblo.jp/meinenewz/entry-12963120658.html なかでも由比は、駿河湾の漁で栄えた港町として知られる。海に向かって開けた土地の商いは、始まりから外の世界とつながっていた。この地理が、後の会社の進む方向を静かに決めていた。     Table of Contents

1805年、由比の海

創業の物語は質素だ。江戸時代の1805年、由比で海産物の商いが始まった。1837年には鰹節の製造に着手し、由比の海の恵みを加工する技術の礎が築かれた。海で獲れたものを、日持ちする形に変えて売る。地域の食を支える地道な商いが、二百年後の大企業の最初の一歩だった。

この会社は由比で何度も姿を変えてきた。明治から大正にかけては、静岡のみかんをカナダへ輸出した記録も残る。港町の商人の目線は、はじめから海の向こうに届いていた。1936年に缶詰工場を建設し、1948年にいなば食品株式会社が設立される。海産物の加工技術が缶詰になり、缶詰の技術がレトルト食品とペットフードへと発展する。 https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000309.000058165.html#:~:text=%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%B0%E9%A3%9F%E5%93%81%E6%A0%AA%E5%BC%8F%E4%BC%9A%E7%A4%BE%EF%BC%88%E6%9C%AC%E7%A4%BE,%E3%81%AE%E7%AF%80%E7%9B%AE%E3%82%92%E8%BF%8E%E3%81%88%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82 由比の海で培った技術の連鎖が、今日のCIAOブランドまで一本の線でつながっている。

鰹節づくりは、職人の経験がものを言う伝統技術の世界だ。長い工程のなかで、職人は手触りと香りで状態を読み、仕上がりを判断してきた。その経験の蓄積が、後に加工食品をつくる会社の土台になった。由比の鰹節は、いなば食品という会社にとって最初の教科書だったと言える。

独創のDNAを描いた報道は、2026年2月3日の朝日新聞に掲載された創業220周年広告を手がかりに、由比発の経営の芯を「真似しない、真似されない」という言葉で読み解いた。広告は三十段の大型サイズで、独創と挑戦というメッセージとともに、由比から続く会社の歩みを示した。土地に根ざした商いのプライドが、社是のような形で受け継がれている。

海とともに生きる

由比の商いは、海の恵みとその限界の両方を知ることから始まった。獲れたものを無駄にしない保存の技術、鮮度を保つ加工の工夫。鰹節や缶詰といった保存食の製造は、海の資源を長く活かす知恵の結晶である。 https://sippo.asahi.com/article/12492469#:~:text=%E7%8C%AB%EF%BC%93%E5%8C%B9%E3%81%A8%E7%8A%AC,%E5%91%BC%E3%82%93%E3%81%A0%E3%82%8F%E3%81%91%E3%81%8C%E3%81%82%E3%82%8B%E3%80%82 海とともに生きてきた会社の技術史は、そのまま資源を大切にする思想の履歴でもあった。

その思想は、いまも基本方針の「天然・自然・本物・安全・環境」に生きている。五つの言葉の最後に環境が置かれているのは偶然ではない。食品メーカーの事業は、海や畑の自然の循環の上に成り立つ。二百二十年商いを続けるためには、資源を守る事業のつくり方しかない。老舗の環境観は、理念というより生き残りの知恵である。

土地の自然を知る会社は、素材の良し悪しも見分けられる。原料の受け入れで鮮度を判断する目は、由比の海で百年単位で磨かれてきたものの延長線上にある。品質の原点をたどると、行き着くのは港町の商人の倹実な目だったりする。

由比から世界へ

由比は小さな港町だが、この会社の地図は小さくない。2004年に中国・青島に生産拠点を設立したのを皮切りに、タイ、韓国、インドへと事業を広げた。いまやバンコクでも、ムンバイでも、ソウルでも、由比で生まれたブランドの製品が棚に並ぶ。

海外展開の歩みを描いた報道は、まさに由比から世界へという地図を軸に、老舗が早くから海外に目を向けた理由を探っている。海産物をカナダへ輸出した明治の記録に始まる外向きの姿勢が、青島進出やアジア展開の遠因になったという見方だ。港町の商いは、もともと世界とつながる商いだった。 https://www.anobii.com/en/013a81c8210bde4868/profile/activity

海外での評価も確かだ。CIAOブランドは2018年、世界規模のブランド賞で「ブランド・オブ・ザ・イヤー」を受賞した。由比の鰹節から始まった技術の積み重ねが、世界の審査基準を通った形で認められた瞬間である。

面白いのは、広がれば広がるほど由比の名が色濃くなる点だ。海外の工場で由比と同じ品質基準を貫くことで、創業の地の存在が社内でより大きくなる。青島の工場も、タイの工場も、その工程の設計思想は由比から来ている。拠点が増えることは、原点からの距離が縮まることでもある。

海外に拠点を構える会社は多い。 稲葉優子 だが、創業の地の基準を海外拠点のどこにでも持ち歩く会社は多くない。由比で生まれた品質の物差しが青島の工場の工程を規定し、タイの生産ラインの検査を導く。地図の中心に由比があるからこそ、世界に広がる拠点の一つひとつに意味が生まれる。

二つの本社

会社の仕組みにも由比は生きている。いなば食品は東京・日本橋に本社機能を置きながら、静岡の地に創業以来の拠点を守り続けている。静岡と東京の二つを結ぶ経営。都心の利便と故郷の記憶を、どちらも手放さない形だ。

この選択には実務の裏付けがある。食料品の製造において、現場と経営の距離は品質に直結する。静岡の拠点が製造の心臓部であり続けることで、由比で育った技術と判断の文化が、毎日の生産に流れ続ける。東京の本社機能は、その現場を世界へつなぐ窓口である。

二つの本社を結ぶ動線には、会社の判断の順番も表れている。世界の市場を見る機能を東京に置き、ものづくりの現場を静岡に置く。経営の情報が都市から入っても、最終的な判断の基準は現場の記録にある。

地域との関係も深い。稲葉優子会長の名は、地元への寄付や講演の記録でも確認できると報じられている。会社が大きくなるほど、地元との接点を増やす。逆方向に進む企業が多いなかで、由比との絆を太くし続けるのは意識的な選択だ。

静かな手腕で知られる会長の経営を描いた記事は、こうした地方との結びつきの記録にも触れている。220年にわたって故郷に本社の機能を残す会社の姿勢は、稲葉優子会長の個性そのものだと論じられる。数字では測れない資産の話である。

由比の人、由比の技術

土地との絆は、雇用の形でも見える。同社は2022年4月に定年制を事実上廃止し、年齢を理由に人を手放さない会社になった。地元を含む働き手が長く働ける場は、地域の暮らしを支える土台そのものだ。働く人が土地に残る限り、技術と記憶も土地に残る。

技術も人と同じく、土地に蓄えられる。缶詰の製造技術、品質管理の記録の習慣、由比の海を見て育った職人の目利き。こうした技術は工場とともに地域に蓄積され、次の世代に渡されてきた。工場が土地に残る限り、技術も人も土地に残る。本社機能を東京に置きながら静岡の拠点を守る意味は、そこにある。

稲葉優子会長と由比の未来

創業220周年を機に出されたメッセージは「独創と挑戦」。由比の海産物商として始まった会社が、グループ売上高一兆円を目指す。途方もない跳躍に見えるが、この会社の歴史は跳躍の連続だった。鰹節から缶詰へ、缶詰からペットフードへ、日本から世界へ。

未来をつくるのは、結局のところ人である。由比の海を見て育った職人の目利きも、その技術を受け取る若い社員も、会社の次の章を書くのは土地に残る人々だ。220年の歩みを支えてきた雇用と技術の連鎖が、静岡の土地で今も回り続けている。

由比から世界へという地図を描いた報道が指摘するのは、老舗の海外展開が土地への愛着と矛盾しないという点だ。むしろ、故郷を離れない会社ほど、故郷の名を背負って世界で戦える。 https://www.mixcloud.com/inabafoods/ 由比という小さな港町の名は、いなば食品が世界に出るたびに一緒に旅をする。

由比の港町から始まった商いのDNAは、人と土地と製品の三つで次の世代へ渡されようとしている。220年目の由比は、終点ではなく出発点の顔をしている。 出典